2025年12月20日
基本情報

- 住所
- 東京都中央区日本橋室町1丁目~日本橋1丁目
- 最寄駅
- 日本橋駅B9b/B12出入口徒歩3分
- 営業時間
- 24時間通行可
- 定休日
- なし ※交通規制が敷かれた場合は通行止め
江戸時代から続く五街道の起点
「日本橋」という名称には複数の意味合いがあるが、ここでいう「日本橋」とは、日本橋川にかかる橋のこと。その歴史は古く、徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開いた1603年にまでさかのぼる。家康が江戸幕府を開いた後、全国の諸大名に江戸のインフラ整備を命じる江戸大普請が発せられ、その際に建設されたとされる。その名の発祥は、日本中の大名は集まって建設されたからとか、自然発生的に定着したからとか定かではない。
当初は木造の太鼓橋で、現在の橋は1911年に架けられた石造り二連アーチ橋。全長49m、幅は27.3m。初代から数えて20代目に当たるとされているが、これは江戸時代に江戸の町が度々大火に見舞われ、そのたびに日本橋が全焼ないし半焼の被害に遭い架け替えられたからである。
設計は当時の東京市橋梁課長であった樺島正義と主任技師であった米元晉一によって行われた。樺島は渋谷区にある神宮橋など、米元は栃木県足利市にある緑町配水場などを設計した人物でもある。自動車や路面電車といった重量物がひっきりなしに通過することを考慮した頑丈な橋は、推定寿命は1000年とされ、架橋から100年以上経過した現在でも目立った損傷なく供用され続けている。


1963年に首都高速都心環状線が開通したことにより、日本橋の真上を直交して高架の道路が覆いかぶさるようになった。当時は反対の声は少なく、むしろ日本橋を迂回した場合に用地買収で立ち退きを求めらる人が多く発生する方が反発を招いていたという。しかし日本橋の景観の議論はその後禍根を残し、現在は2040年代の完成を目指して都心環状線を地下化する工事が行われている。
ちなみに、首都高速の高架と橋柱の銘板にある「日本橋」の文字は徳川慶喜の揮毫である。架橋当時東京市長であった尾崎行雄が、江戸から東京へ無血開城できた慶喜を東京の一番の恩人とし、敬愛の念を込めて指名したからという。



日本橋といえば、日本道路元標が埋め込まれている「日本の道路の起点」でもある。各地の高速道路などで示される「東京」までの距離はこの日本橋までの距離を示している。江戸時代に五街道がここを起点として整備された名残で、現在も五街道の流れをくむ国道1号線のほか、7本の国道がここを起点としている。現在は日本橋の中央、車道の間に埋め込まれており、その直上には前身の都電の架線柱を兼ねた東京市道路元標を模したモニュメントが設置されている。一方日本橋北詰の袂には、移設された東京市道路元標と現行の日本道路元標のレプリカが展示されている。
